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杉田聡『クルマを捨てて歩く!』 [Arcives_ローカルな思想を紡ぐ]

上司に勧められて読んでみる。クルマに乗るのをやめようと主張する本書。「東京のように公共交通機関が発達しているところばっかりじゃないんだよ、地方のことが見えていないのか!」と腹が立ち、どうせ哲学者が屁理屈こねくっているのだろうと、著者の勤務先を見ると帯広畜産大学…とてもじゃないがクルマが無いと不便な北海道!クルマ前提でインフラ整備されていることによって生じている歪みをさまざまな面から論じている。思い出すと、昔、家族で車に乗って出かけるときに「周りの景色を見なさい」と怒られたことがある。車で移動した場合と、電車で移動した場合、バイクで移動した場合を比べると、車で移動した場合は道をよく思い出せない。そもそもが方向音痴ということもあるけれど、電車の場合は途中通った駅で、頭の中に移動経路を描ける。バイクの場合は周囲の山や川や集落の位置から描ける。でもクルマの場合は思い出しにくい。
過疎化が進む地域では、分校や小さな小学校が廃止・統合され、バスも走らないような場合、親がクルマで送り迎え出来る場所にある学校(親の職場の近くにある学校など)を選べるというようなところもある。そんな子どもは自分の家と学校との間に何があるのかもわからなくなってしまう。登下校途中に道草をしながら、自分の暮らす地域を知るという機会が無くなってしまう。それに、クルマのような交通手段があるから、廃校にしてしまうという結論が出せるようになったという見かただってできる。

廃校にしなければならなくなった理由だって、実はクルマにある。車があるから遠くに買い物に行くことが出来るわけで、結果として地元の商店が利用されなくなる。商店が潰れれば、店主は外に働きに出なければいけない。クルマが無ければ、そこで生計を立てる手段を見つけなければならないけれど、クルマがあればどんなに遠くまででも働きに行ける。そのようにして、どんどん人が外に出て行ってしまう。
何も、この話は山の集落と町場の関係だけでなくて、高速道路やバス路線が出来たせいで地方中小都市が大都市にスポイルされてしまっているのだって結局はクルマ。莫大な金を投資して橋やトンネルを作って、町が衰退するということはいたるところで起きているじゃないか。

以前うちの親が、除雪車が車道の雪を歩道に除けていくことに腹を立てていたこと思い出す。この国は全てクルマが中心に動いているように見えてくる。もちろん基幹産業であるから、クルマ中心になるのは仕方がないことかも知れないけれど。歩いて暮らせる町を作ることが、住民にとっても、行政コストをとっても、環境負荷をとっても、最も良いことなのではと思う。もちろん、いますぐどうこうなるものでは無いけれど、目指すべきものは何かを持っていたほうが良い。
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