『水になった村』 本当に失われたもの [Arcives_ローカルな思想を紡ぐ]
90年代後半までそこに住んでいた人がいたことにも驚いたが、その暮らしぶりたるや、まさに連綿と続く暮らしの叡智の結晶である。山葵をとるためだけに片道数時間をかけ山に入り、必要な分を取ったら来年のために埋め戻しておく。雪深い冬に備えて山菜や野菜で大量に漬物を漬ける。全てが食べることにつながっている。食べるために恐ろしく手間をかけている。カメラを持った大西監督とばあちゃんが食事するシーンが何度も出てくるが、恐ろしく大盛の飯を食べている。
ダムが完成し、監督が移住先を訪ねる。「何でも買ってこなきゃいけない。お金が要って」と話すばあちゃんの声に力が無い。
涙が止まらない。
ダムは環境に良くないからダメだとか言う人たちがいる。村人の生活を犠牲にするからダメだと言う人たちもいる。
どちらもそうは思わない。そこに住む人たちが豊かになるならば作ればいい。食料が必要ならば干拓すればいいし、より多くの田に水を行き渡らせるためにダムを作るならば、先人たちもそうしてきたはず。ただ、工業用水としても農業用水としても、もはや必要性が薄れたことがはっきりしたダムを、住む人の暮らしを犠牲にしてまで作る必要はあったのだろうか。
過去にも数々の村がダムに沈んでいる。ダムに沈まなくても、他の災害で消えた村、そしてこれからは人口の自然減で、残念だが消えていく村は出てくるはず。徳山村はこうして大西監督の手で看取られて、骨を拾ってもらって、『水になった村』という映画はじめ写真集や書籍の形で立派に残った。
でも、過酷な自然の中で、生き生きと営まれてきた暮らしはもう残っていない。食べるための叡智とともに失われてしまった。
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